
①私文書偽造と私印不正使用罪の区別が問題となった判例
事案の概要
本件は、無免許運転による業務上過失傷害および救護義務違反(ひき逃げ)等で検挙された被告人が、捜査段階において、刑事責任を免れるために実弟の氏名を詐称した事案です。
被告人は、司法巡査が作成した「飲酒検知保管袋」および「道路交通法違反(酒気帯び酒酔い)事件捜査報告書」への署名・押印を求められた際、行使の目的をもって実弟の氏名を記載し、自らの指印を押しました。
一審判決(原判決)は、これらの行為を「有印私文書偽造罪」および「同行使罪」として処断しました。しかし、控訴審である本判決では、警察官が作成する公文書上の署名・指印が、独立した「私文書」として認められるかどうかが主な争点となりました。
判決文の抜粋
「本件においては、上記捜査報告書の末尾に設けられた被疑者署名印欄の署名・指印をもって、その外形上捜査報告書から独立性のある文書ということはできないから、文書性を否定するほかはない・・・上記捜査報告書及び保管袋に実弟の署名・指印を偽造し、提出した行為は、刑法一五九条一項にいう事実証明に関する私文書の偽造と同行使の罪ではなく、私印偽造(本件においては、署名・指印の偽造を指す。以下同じ。)と同不正使用の罪に該当するというべきである」(福岡高等裁判所平成15年2月13日判決)
弁護士の解説
本判決は、「私文書偽造罪」と「私印偽造罪」の境界線について判断しています。
「有印私文書偽造罪(刑法159条1項)」が成立するためには、その偽造された部分が「独立した一個の私文書」としての性質を持っている必要がありますが、本件では以下のような理由で文書性が否定されています。
・捜査報告書や飲酒検知保管袋の末尾や欄外になされた被疑者の署名・指印は、報告書全体の一部に過ぎず、それ自体が独立して「私文書」を構成しているわけではない
・署名・指印をすることで何を証明しようとしているのか(検知内容を確認したのか、単に臨場しただけなのか等)が一義的に特定できない
結果として、裁判所は「文書」の偽造ではなく、その構成要素である「印(署名・指印)」そのものを偽造したとする「私印偽造・同不正使用罪(刑法167条)」が適用されました。
②配達票に偽名で署名する行為は私印偽造罪及び同使用罪には該当しないとされた判例
事案の概要
本件は、インターネットショッピングで商品を注文した被告人が、自宅に届いた宅配便の配達票(受領印欄)に、本名ではなく注文時に使用した偽名「A」と署名して受領した行為が、私印偽造罪(刑法167条1項)および同使用罪に該当するとして起訴された事案です。
被告人は、本名(外国籍)で注文すると不利益を被る可能性があると考え、複数の偽名を使い分けていました。検察側は、配達票は本名で署名すべき性質のものであり、偽名を用いたことは「他人の署名を偽造した」にあたると主張しました。これに対し、被告人側は「A」は自分を指す呼称として使用しており、人格の同一性を偽ったわけではないとして無罪を主張しました。
判決文の抜粋
「本件において,被告人が「A」と配達票に署名し,本名を用いなかったことにより,社会通念上,作成者と名義人の人格の同一性に齟齬を来たすものとはいえないから,被告人が,刑法167条1項にいう「他人の署名を偽造した」とはいえない。また,署名が偽造でない以上,当然これを使用する行為が偽造した署名を使用したということはできない。・・・配達票の署名は宅配便の配達員,依頼者と受取人の間で人格の同一性に齟齬を来していない・・・被告人の行動全体として,被告人が自己の本名を隠して人格の同一性をあいまいにする意図がうかがえなくはないものの,本件署名の際にそのような意図があったとはいえないし,また,前記のとおり,主観的事情を大きく考慮すべきであるとも言えない。・・・配達票の受領印欄は,性質上本名を用いて作成することが求められているとはいえない。」(京都地方裁判所令和2年6月25日判決)
弁護士の解説
本判決は、偽名や通称名を使用した署名が、どのような場合に「偽造」となるのかという判断基準を示し、被告人に無罪を言い渡した事例です。
私印偽造罪における「偽造」とは、単に本名と異なる名前を書くことではなく、「作成者」と「名義人(署名から認識される人)」の人格の同一性に不一致が生じることを指します。本件では、以下のような理由から受取印の「偽造」が否定されています。
・宅配便業者の配達票の受取印は、注文者が指示した関係者かどうかが判明すればよく、必ずしも本名で署名する必要はない
・被告人が「A」名義の物品の注文・配達依頼をし、被告人宅に居住する「A」あてに当該物品を配送しており、宅配便の配達員・依頼者・受取人の間では「A」名の人格の同一性に不一致はない
③架空の人物の署名をしたことが私印不正使用罪に問われた判例
事案の概要
本件は、暴行事件の被疑者として警察官の取調べを受けた被告人が、前歴の発覚を恐れ、架空の人物になりすまして供述調書に署名・提出した事案です。
被告人は、本名(A)を隠すために「A'」という偽名を使い、さらに生年月日、本籍、住居、職業にいたるまで、自分とは全く異なる虚偽の情報を申告しました。この虚偽申告に基づき作成された供述調書の被疑者署名欄に、被告人は「A'」と署名して警察官に提出(使用)しました。
警察側は、被告人の申告した「A'」という人物を実在のものと信じ、犯歴照会でも「前歴なし」と判断したため、身元引受人もないまま被告人を帰宅させました。その結果、約3ヶ月もの間、真犯人の特定が困難になり、捜査に重大な支障をきたしました。
裁判では、冒用された署名が「実在しない架空の人物」のものであっても、私印偽造罪および私印不正使用罪が成立するのかが争点となりました。
判決文の抜粋
「刑法167条の私印偽造,同不正使用等の罪は社会的法益に対する罪であり,その保護法益は,私印や署名の真正に対する公共の信用である。そして,冒用された署名が,架空人のものであっても,一般人をして実在の者の真正に成立した署名であると誤信せしめるおそれがあるようなものであれば,署名の真正に対する公共の信用を害する危険があり,この危険は実在人の署名を偽造したときとなんら異なるところはない。なお,刑法典の中で私印偽造の罪は文書偽造の罪の予備罪的なものとして位置付けられていると解されるところ,文書偽造罪については実在しない者の名義を冒用して文書を作成した場合に文書偽造罪が成立するとした判例が存するのであって・・・私印偽造についても同様に解するのが相当である。」(東京高等裁判所平成13年7月16日判決)
弁護士の解説
私印不正使用罪の保護法益は、「印章や署名の真正に対する公共の信用」という社会的な利益です。そのため、たとえ名義人がこの世に存在しない「架空人」であったとしても、それが一般人から見て「実在する誰かの正しい署名である」と誤信させるに足りるものであれば、公共の信用を害する危険性は実在人を冒用した場合と何ら変わらないと判断されました。
警察の調書という公的な場面において、人格を偽り他人の名を騙って署名する行為は、たとえ架空の人物であっても私印不正使用罪に問われることになります。
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この記事の監修者
刑事事件の弁護に注力する法律事務所の代表弁護士。逮捕回避・早期釈放・不起訴獲得・示談交渉など、被疑者・被告人の権利を守るための迅速な弁護活動に豊富な実績を持つ。痴漢・盗撮・暴行傷害・薬物事件・性犯罪など幅広い刑事事件に対応し、24時間体制で依頼者とそのご家族を全力でサポートしている。

